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福岡高等裁判所 平成6年(ラ)131号 決定

主文

原審判を取り消す。

抗告人の氏「甲野」を「乙山」と変更することを許可する。

理由

一  抗告の趣旨

原審判を取り消し、本件を福岡家庭裁判所に差し戻す。

二  抗告の理由

別紙記載のとおり

三  判断

1  一件記録によれば、次の事実が認められる。

(1) 抗告人は、乙山松夫、乙山春子の二女として出生し、甲野太郎と夫の氏を称する婚姻をし、平成三年二月二三日同人との間に長男一郎が生まれたが、平成五年六月一五日一郎の親権者を抗告人と定めて協議上の離婚をし、同日戸籍法七七条の二により離婚の際に称していた氏「甲野」を称する届出をし、同月二九日一郎について母の氏を称する入籍届出をした。

(2) 離婚は抗告人の申し入れによるもので、抗告人は夫に申し訳ないとの気持ちがあり、希望すればいつでも実方の「乙山」氏への変更が可能なものと誤信し、当時一郎の通園先の保育園が年次途中であつたことから、その時点での「甲野」から「乙山」への復氏は好ましくないと考え、従前の氏の変更を伴わない「甲野」氏の選択をしたものであつた。

(3) 抗告人は、いずれ「乙山」氏と変更することを考えていたので、離婚後、勤務先では公的書類の外は「乙山」を称し、自宅郵便受には「乙山」「甲野」を併記して友人、知人間と「乙山」氏で文通しているほか、社会生活全般にわたり「乙山」で通している。

(4) 抗告人は、一郎が離婚から半年後の平成五年一一月頃から保育園で自分は「おつやまいちろう」だというようになつたので、保育園の協議のうえ、その頃から一郎についても保育園で「乙山」を称させている。

(5) 抗告人は、社会生活全般にわたり「乙山」で通しているので、「甲野」氏では各般にわたり不便であると訴え、平成六年五月二七日本件氏の変更許可の申立をした。

二  ところで、氏の持つ法的社会的機能からすれば、それによつて生ずる呼称秩序の安定をはかることが必要であるから、たやすくその変更を許すべきではない。このことは、離婚によつて復氏すべき者が、民法七六七条二項、戸籍法七七条の二により婚姻中の氏を称することを選択しながら、その後離婚前の氏に変更しようとする場合にも妥当することであつて、この場合の氏の変更も戸籍法一〇七条一項の「やむを得ない事由がある場合」に限つて許されることはいうまでもない。しかし、婚姻によつて氏を改めた者は、離婚により原則として婚姻前の氏に復するのであり、婚姻中の氏の継続使用は例外であるから(民法七六七条一項二項)、婚姻中の氏の継続使用を選択した者の婚姻前の氏への変更の場合には、それが戸籍法一〇七条一項の「やむを得ない事由」に該当するか否かを判断するに当たり、一般の氏の変更の場合よりも、緩やかに解釈するのが相当である。

もつとも、婚姻によつて氏を改めた者は、離婚に際し、三か月間は婚姻中の氏を称するか婚姻前の氏に復するか熟慮できるのであるから(民法七六七条二項)、長期的展望にたつて慎重に選択すべきであつて、いかなる理由にせよ、その必要があつて原則たる復氏を選択せずに婚姻中の氏を選択した以上、氏の変更の一般的制約に当然服すべきであり、氏の変更が離婚に伴うということによつて特別扱いをすべき理由はないという考えもありうる。しかし、現実には、婚氏続称の選択に至る事情といて、制度についての無知や自らの意思に反しつつも婚氏を選ばざるをえない場合など様々なものが存在するから、厳格な解釈により婚姻前の氏への変更の道を閉ざすよりも、上記のような緩やかな解釈をとりつつ、それによる申立乱用の弊害の防止策を考慮するのが相当である。

そうすると、婚姻中の氏の継続使用期間が比較的短期間であつて、その氏が離婚後の呼称としていまだ社会的に定着しておらず、婚姻前の氏への変更の申立てが恣意的なものでもなく、かつ、その変更により社会的弊害を生じるおそれのないような場合には、婚姻前の氏への変更を許可するのが相当である。

抗告人の場合、婚姻中の氏の継続使用期間も本件氏の変更許可の申立時まで一一か月余と比較的短期間であつて、その氏が離婚後の呼称としていまだ社会的に定着していないばかりか、むしろ抗告人は社会生活全般にわたり概ね「乙山」で通用してきて、抗告人が戸籍上「甲野」であることによる混乱も生じており、その氏の変更許可の申立てが恣意的であるとは認められず、その変更を認めたからといつて社会的弊害を生じるとも考え難い。

そうすると、抗告人の氏を婚姻前の氏「乙山」へ変更を許可するのが相当である。

三  よつて、本件抗告が理由があるから、家事審判規則一九条二項により、本件申立てを却下した原審判を取り消し、抗告人の氏「甲野」を「乙山」と変更することを許可することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 佐藤安弘 裁判官 宮良允通 裁判官 野崎弥純)

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